智慧・慈悲・自由をテーマにした【クリエート浜松】瞑想会報告~2016.12.4

小林紀生

2016年12月04日 23:50

12月4日(日)の今日は、プラユキさんをお招きしての「気づきの瞑想会」。
昨日の12月3日(土)は、個人面談会。

しかしながら、浜松到着のときは、プラユキさん、体調不良。
体調が思わしくなければ、途中で中止もあるかなあ、と思いながらも、
ところが、面談を進めていく中で、体調をどんどん回復。
夕方になると、すっかりお元気に。


その回復の甲斐あって、今日は、無事、瞑想会を開催することができました。
また、今回は、本当に大勢の方にお集まりいただきました。
満員御礼です。



今年NHKが放送したマインドフルネスや瞑想特集の番組や、
マインドフルネス関連著書が多くなっていることから、
関心も高くなっているのでしょうか。

その辺りのくわしいことはわかりませんでしたが、とにもかくにも、
今回は満員御礼となる32名の参加者となりました。
参加されました皆さま、本日はありがとうございました。
また、お疲れ様でした。



今回の瞑想会では、プラユキさんの「よき縁」についてのご講義がメインに。

 よき縁に触れる
 よき縁となす
 よき縁となる

です。
「よき縁」を軸にしながらのご講義となりました、
私的に心に残ったことを、いくつか挙げてみますと、

・毎日、お経をお唱えするのは、ブッダの教えの視点からモノを見ることが
 できるようになるための行為

・「瞑想難民」が生じやすい理由の一つ。
 心が弱っているときは、ネガティブなものに目が行ってしまいやすい。
 そのため、瞑想をすればするほど苦しくなってしまうことが起きる。
 元気な人は、健全にできるので、こうした問題は生じにくい。

・「よき縁となる」とは、慈悲の実践であり、人の為ににお役に立てるようになること。
 他人が喜んでいることに、一緒に喜ぶことができる「随喜」は大切なこと。

ほかにもありましたが、参加者の皆さまそれぞれが、
受け止めるポイントなども違ってまいるかと思います。
盛りだくさんな内容であったと思います。



あと「受容力」についての丁寧な説明もありましたね。
プラユキさんの言われる「受容力」とは、「気づき」とセットになって
お話しされることが多い大切なキーワードだったりします。

「受容力」とは、思うに、受け止める能力であって、
つらいことや、嫌なことであっても、「うんうん、ま、いいんじゃないの」といった、
どこか、やさしく、ふんわり、ゆったりした感じで、
すっと受け止めることではないかと。
で、それを「OK(オッケー)」と言っているのではないかと。

「OK(オッケー)」は、確認の「OK」ではなく、
ゆったり、ほんわかとした感じで、「うんうん、ま、いいんじゃないの」みたいな、
あるいは、泣き止まない赤ちゃんをだっこして、お母さんが「よしよし」と、
やさしい眼差しを向ける、そんなニュアンスではないかと思います。


プラユキさんが言われる「OK(オッケー)」とは、
やさしさに根ざした「受け止めるハート」を、
簡明な言葉で言いあらわしたものではないかと思っています。

そんな感じで受け止める能力が「受容力」。
「気づき」に続いて発揮される大切な能力なのだと思います。

もしも「受容力」がありませんと、やたらと逃げたり、戦ったり、
抑圧した対応になるとも。
そうして、「誰々のせい」など、他人や物事のせいにしてしまうことに。
「受容力」は、自分の力を取り戻し、蘇らすとも。



質疑応答・シェアリングでは、活発な質問が出され、
あっという間に2時間が経ってしまった感もあったものです。

それにしても、浜松の瞑想会は、今年で7年目になります。
光陰矢の如しではありませんが、時が経つのは早いものです。

しかしながら、気づきに開かれ、「観る人」になられ、
やすらぎとよろこびが感じられる人が、
一人、また一人と出てくることはうれしいですね。

気づきの瞑想会は、社会貢献の目的で開催させていただくようになりましたが、
今や、マインドフルネスが広まりをみせています。
マインドフルネスは、ともしますと、技術的な部分のみに
フォーカスされてしまう恐れもありますが、
テーラワーダの「サティ」は、善性や道徳性をも包括した
人間を健全に育むシステムの一つですので、
これから、ますます、「サティ」への理解と、需要と必要性の高まりは、
広まりをみせていくのではないかと思います。

元祖マインドフルネスとしての「サティ」系の瞑想会は、
啓蒙のためにも、今後とも開催させていただこうと思っております。






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