ゴエンカ氏の瞑想合宿でトラウマ解消の体験~驚くべきテーラワーダの瞑想

小林紀生

2021年06月03日 19:35




長文になりますが、昔、初めてテーラワーダの瞑想合宿(ゴエンカ氏の瞑想合宿)に参加したときの話しです。

10年以上前になりますが、テーラワーダ仏教のゴエンカ氏の瞑想合宿に参加したときは、大変なターニングポイントとなったものでした。

⇒Vipassana Meditation(ゴエンカ師のヴィパッサナ瞑想)

初日の開始前は、オリエンテーションのような雰囲気で、参加者とおしゃべりもできるんですね。で、ちょうど北海道から参加していた20代前半の男性がいまして。私も北海道生まれということで、なんか懐かしくなったものです。

で、その若者は、「ゴエンカ氏の瞑想合宿に参加して劇的に変わった」と語るんですね。なんでも、以前は自堕落なな生活で、薬物依存にもなって廃人同様だったと。悪友ともつるんで荒んだ生活だったといいます。「これじゃあダメだ」と思うも打開策が無い日々。
 
そんな中、知人からゴエンカ氏の瞑想合宿がいいらしいと聞いて、一念発起してゴエンカ氏の瞑想合宿に参加。そうしたところ激変。全て解消。
 
今では健全な生活に戻っていると。が、またあの生活に戻ってはいけないので、戒めとしてゴエンカ氏の瞑想合宿に参加し続けているといいます。


そんなすごい話しを聞きましてね。ところが私は「ふーん、本当にそんなことがあるのかねー?。瞑想だけで変わるものかねー?。何か別の要因じゃないのー?」なんて内心思いながら聞いておったんですね。
 
で、その若者は「観察瞑想をしていると、土瓶から毒グモがワサワサと出てくるビジョンを何度も見たんですが、それを観続けていると心が軽くなっていった気がするんですね」と。
 
「なーるほど、なんらかの解放は起きている様子」と、これまた内心思って聞いていましたが、さすがに劇的に変わるほどの効果はどうなんだろうかと、訝しく思って聞いておったわけです。


ところが!いざ実際に自分が参加してやってみると、確かに変わった!合宿終了後、なんともいえない清々しさで、生まれ変わったような感じに。すごい手応えを感じます。
 
驚いたことは、それまで何年かけても、にっちもさっちもいかなかったモヤモヤとしていた心や気分がきれいサッパリと解消したことです。さらに、これまた悩ましげだったトラウマ的なのがあったのですが、それも解消。
これにはビックリ。すごい!いやー、あの北海道から来ている若者の言っていたことは本当だったんだ!すごい!これは本当にすごい!こんなすごい瞑想だったなんて!と、もう感激しまくりましてね^^
 
ところがさらに驚くことがあって、合宿から家に帰ると、家族が「なに!なんかすごく変わったねー!」「おお、なんだなんだ別人みたいだぞ」と、私の様子や雰囲気が変わったことに対して家族が驚いているんですね。
 
で、その驚きに、私がビックリ^^いやー、普段一緒に生活している家族にもわかるんだー!と、これまた感激しましてね。


こういう劇的な体験が私にも起きて、しかも北海道の若者の体験談話も聞いて、ゴエンカ氏の瞑想の浄化パワーが半端ないことを如実に体験したわけです。
 
で、これがテーラワーダ仏教の瞑想に本格的に触れた最初だったんですね。が、最初のインパクトがものすごく大きく、このことがきっかけで「テーラワーダの瞑想を世の中に広めたい!」と思たんですね。
 
実際、これがきっかけでテーラワーダ仏教の瞑想会を始めます。プラユキ師の瞑想会は今年で11年目になりましたが、この原点がゴエンカ氏の瞑想合宿にあったわけなんですね。


テーラワーダ仏教の瞑想はパワフルに心に作用します。
ちなみに心を変える方法で最も知られているのは

・なりたいイメージを描く
・アファメーション
・創造主や神、仏と一体となることを観想する

などなど、何らかの対象を設けて、その対象になること・目指すことを行います。世の中にある方法論のほとんどは、この構造とアプローチになっています。そのメソッドで使っている言葉や観念、イメージは違えども、構造やアプローチは全て同じです。

で、私は、テーラワーダの瞑想を知る以前は、この手の「何かになろう」とする方法を、数多くやってきていました。20年以上は行ってきています。この手の方法は、いいところまでは行くんですが、最後の最後で、どうしても解決できないストレスといいますか、モヤモヤやらイライラとした気分みたいのが残ります。で、それが厄介だったりするんですね。

この手の方法論を、10年以上続ければ、こうした問題は、おそらく誰もが体感するはずです。


結局、「何かになろう」とする方法は、「心の解放」を引き起こさないんです。心の上に、別の観念や心を上塗りして、お化粧して、それらしく整えてしまうだけなんですね。だから心の奥にモヤモヤとしたのがたまってしまうわけです。

そのことはわかっていても、どうすればよいのかがわからないため、で、このモヤモヤとしたものを解消するために、今度は別の「何かになろう」とするテクニックで変えようとしてしまうわけです。

こうしたテクニックが次から次へと生み出されていますが、何故、次から次へと生み出されるかといえば、本当の意味での効果が乏しいからなんですね。だから堂々巡りを続けるわけなんです。

しかしそれでも「何かになろう」とする方法は、これはこれで良い点もあります。けれども限界があるんですね。問題もあります。こうした限界や問題については、あまり語られることなく、成功法則やイメージテクニック、あるいはスピリチュアルでのイメージ瞑想で多用されています。しかし限界と問題があるってことです。


しかし、「何かになろう」とする方法が宿している限界と問題を解決するのが、テーラワーダ系の「観察瞑想」になるんですね。

だからお釈迦さまは
・禅定
・念
の2つを用意されたと言うこともできるんじゃないかと思います。このことは実体験的に、そう思います。


テーラワーダ仏教の瞑想は、観察や気づきによって、ナチュラルに解放を引き起こします。心を解放します。浄化させます。で、自然な受容力や慈悲の発生にもつながっています。

本当に素晴らしいですし、ありがたいものです。


人生にはターニングポイントがあります。
私の場合は、16才、21才、そしてゴエンカ氏の瞑想合宿、さらにその後、いくつかの大きなターニングポイントは続きますが、ゴエンカ氏の瞑想合宿は第三者にも、その効果がわかるほどのインパクトでした。決して忘れることができない素晴らしい思い出でもあります。

テーラワーダ仏教への感謝の思いは今も変わらず、人生を変えた瞑想と言い切れるほどです。心を浄めるパワフルな瞑想があること自体、本当にありがたいですね。

それにしてもゴエンカ氏の瞑想合宿は本当にすごいですね。10日間缶詰になるのはハードルが高いかもしれませんが、心の浄化作用は桁違いに強いです。だから今でもイチオシしている瞑想なんですね。

Vipassana Meditation: 日本

⇒次回に続く


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