
一昨日の記事は誤解されそうでしたので書き改めました。けれども、もうちょっと補足したほうがよさそうですので、こうした実践実習をする際に大事かなあと思われることを書きたいと思います。
結局、一昨日の記事は「精神面」に関することになります。精神的な安らぎを得るために、理想を描いたり神や仏をイメージして、それになりきろうとする方法には限界や問題があるということになります。あくまで「精神性」に関することですね。たとえば「理想の人間になる」といったイメージングです。瞑想の仕方ですね。
で、日常の生活や仕事、創造的な行為は別ですね。これらは当然ながら「何かをする」というのが当たり前になりますし、そうしませんと生活や社会が成立しなくなってしまいます^^そもそも物質的な文明の進歩発展は、実のところ精神的な安らぎももたらしていますからね。文明の進展はありがたいものです。
もちろん文明の発展の陰には負の部分もありますが、昔のように物質が乏しい時代は人々の心はやすらぎが乏しかったですからね。暗黒中世はまさに精神的な暗黒の時代。物質的な発展と心のやすらぎは相関性があると思っています。
精神的な観点からいっても、物質的な文明の進歩発展は望ましいですし必要だと思っています ですので「何もしない系」を日常生活や仕事、創造的な行為に適用するのは「ちょっと違うのでは?」と私は思います。で、文明を進展させるための「何かをする」は大事だと思っています。
で、この話しは出家云々とも関わり、話しが煩雑になりますので割愛しますが、一般的にいって、精神的な豊かさと文明の進展は関係があると思っています。その文明の進展を止めてしまう有り様は望ましくないですね。巡り巡って精神的なやすらぎから遠ざけてしまいます。
あと「何かになろう」とする方法そのものは決して悪いものではなく、使い方によっては非常に優れた効能を発揮しますね。たとえば気持ちを切り替えるときです。ネガティブな気持ちを瞬間的に切り替えたい場合はパワフルにできます。マインドフルネスよりもパワフルですね。エナジードリンクのように即行性があります。
あと「慈悲の瞑想」そうです。慈悲の瞑想も慈しみの心を感じたりイメージングして行います。大変優れた瞑想です。もっとも慈悲の瞑想は「何かになろう」とすることとは微妙に違っていますが。
ただ「何かになろう系」は時として強くやってしまうことがあり、実はこれが最も大きな問題だったりします。力んで行ってしまう場合ですね。力んで行うことはよろしくないですね。で、このことは「何もしない系」にも該当します。
ちなみに「何もしない系」にも、実はメリットとデメリットがあります。が、これについてはまた別の機会に譲りたいと思いますが、一昨日から書いていることは「精神面」に関するということですね。生活や仕事、創造的な行為に関してまで「何もしないがいいよ」ということではありませんので^^
で、この話しは「それじゃあ出家はどうなんだ?」といった話しにも展開しやすいのでが、そもそもインドで何故、出家制度が出来たのかといった歴史を理解する必要があると思います。
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