ブッダが発見したことは4つ~解脱の教法と因果応報・輪廻転生・六道

小林紀生

2021年12月25日 21:34




◆原始仏教
2021年の今年は、1年かけて原始仏教講座を行いました。

で、原始仏教といっても「仏教」のことですね。

しかし「仏教」といっても、いろんな仏教があります。このことは仏教史を学ぶとよくわかります。
⇒全仏教史【インド、テーラワーダ、中国、日本、チベット】

「仏教」といわれている中には、厳密にいえば「仏教もどき」もありますので、注意が必要です。

仏教といえるのは「四聖諦(あるがまま)」があり、実践している教法ですね。つまり

・原始仏教(根本仏教、部派仏教)
・中観派(初期大乗)
・唯識派(中期大乗)
・禅

この4つだけが、厳密にいえば仏教といえます。四聖諦を実践しているところですね。解脱の教法(四聖諦)の実践をするのが仏教になります。

もっとも言葉の上では「四聖諦」と使っていないところもあります。が、実践の軸が「あるがまま」であるならば四聖諦と言えると思います。

ちなみに四聖諦(あるがまま)が無くても、信仰としての仏教や、適切な生き方を示す仏教もあります。たとえば法華経に基づくものであったり、密教がそうですね。こうした宗派は、げんみつにいえば仏教とはいえませんが、人生に役に立つ宗教という言い方はできるかと思います。ただし、これらは問題のある宗教・新興宗教があるのも事実ですね。


◆仏教とは「解脱(悟る)の教法」
で、仏教とは何か?
いろんな言い方もされていますが、仏教とはズバリ、「解脱(悟る)ための教法」ですね。

これに、心を浄める、勧善といった表現も入ってきますが、畢竟、「解脱(悟り)」こそ仏教が目指しているところです。

しかし、このシンプルなことが、実はわかりにくくなっています。

というのも、実のところブッダは、いくつもの大発見をしているからですね。


◆ブッダが発見したこと
ブッダが大発見したことは、それは、

1.解脱(悟る)ための教法
2.因果応報(善因楽果・悪因苦果:カルマ)の法則
3.輪廻転生(生まれ変わり)の法則
4.六道(異次元の世界を含めた世界)の実相

の4つです。

意外に思われるかもしれませんが、これら4つはブッダが発見したことになります。

で、大事なのは「解脱(悟る)ための教法」になります。けれども、残りの3つは、解脱するプロセスにおいてブッダが神通力で知り得たことでして、解脱(悟る)には直接、関わらないことだったりします。大事な教説ではあるんですけどね。


◆因果応報(善因楽果・悪因苦果:カルマ)の法則
ブッダ在世の当時のインドでは、「因果関係は無い(善行も悪行も結果をもたらさない)」という見解がはびこっていました。その代表は「六師外道」です。

で、六師外道といわれる宗教家のほとんどが、道徳否定論者でした。

どうして道徳否定論が登場したかといえば、これは悟りに近い一瞥体験と関係があるんじゃないかと思っています。

悟りに近い一瞥体験をすると、「自分は無い」という無我的な体験をします。が、一瞥体験は、見解を伴う体験です。ですので「何もない」「全ては愛だ」「現実は虚妄だ」「善いも悪いも無い」といった「見解」を抱くようになりがちです(実際は見解を必ず抱きます)。

しかし一瞥体験は悟りではありません。現代でも、これを悟りとして説く人が多くいますね。ナチュラルスピリット社から出ている著書のほぼすべてが、一瞥体験であり、悟りではありません。

で、一瞥体験は見解を伴う体験であるため、「私は無い」「何も無い」「善悪も無い」といった虚無的な「見解」を抱くこともあって、これが「道徳否定論」になったのではないかと推測しています。

「六師外道」の道徳否定論は、こうした一瞥体験に基づいているのではないかと推察しています。

現代でも、結果的に道徳否定論を説いてしまっている人達もいます。ノンデュアリティに顕著ですね。

しかしながらブッダは違います。ブッダの悟りは違う。
ブッダは「善行の功徳はある。善因楽果・悪因苦果はある。因果応報はある」と明快に述べています。

これは世の中の現象としての「事実」であって、一瞥体験や何らかの体験に基づいた「見解」とは異なります。因果応報は「世の真理」です。

因果応報は、別段、何か特殊な体験や能力が無くても、普通に考えれば「当たり前」のことです。しかし、この当たり前のことがわからなくなってしまうことがあるということですね。一瞥体験などの宗教的体験によって、見解が歪んでしまうことも起き得るということです。

そういうことがある中、「因果応報は」という因果関係を、きちんと明快に説明したのはブッダだったりします。

八正道の正見の中に「因果応報を確信する」というのが入っています。もっともこれは、後に組み込まれた可能性もあります。

けれども「因果応報を確信する」ということは、ブッダが常々説いていた「善因楽果・悪因苦果はある」ということそのものになりますね。


◆輪廻転生(生まれ変わり)の法則
また輪廻転生もそうです。インドには生まれ変わりの教えが古来からあると言われています。が、極めて迷信的な生まれ変わり観だったりします。

たとえばウパニシャッドですら、迷信的な生まれ変わり説を説いているくらいです。五火二道説が、それですね。ブッダが発見した輪廻転生の仕組みからすれば、あまりにも迷信的過ぎます。

輪廻転生の仕組みは、アビダルマにいたって精緻を極め、臨終を迎える際の心の変化から、転生先を決定する業の分析にも及び、ウパニシャッドとは比べものにならないほど精密を極めています。

現在知られている輪廻転生観は、インド古来のものではなく、実にブッダが発見した輪廻転生観によるものだったりします。


◆六道(異次元の世界を含めた世界)の実相
さらに「六道」という世界も、ブッダが最初に発見した事実だったりもします。

現在知られている天界・人間界・修羅界・餓鬼界・畜生界・地獄界といった世界観は、実にブッダが発見した事実だったりします。

こうした世界観は、ブッダ以前には明快ではなかったようです。


◆ブッダが説いた教法を整理することの大切さ
このようなブッダの発見の数々が原始仏典に伝承されています。けれども、うまく整理がついていないため、仏教の全体像がぼやけてしまっている感を受けます。

ザックリといえば、また大胆に言えば、因果応報、善行、倫理、輪廻転生、六道といった教えは副次的であって、メイン中のメインは「解脱の教法」になります。

で、その解脱の教法こそが「あるがまま」。如実知見。正見。ちなみに正道から八正道が成立したと、中村元先生の研究にもありますが、これはその通りであろうと思います。

あるがまま、如実知見を元に、インド人特有のロジカル仕立てにしたのが四聖諦。

「あるがまま」を、四聖諦というスタイルにパッケージ化したともいえます。

大事なことは「あるがまま」ですね。

これが原始仏典からも導かれるシンプルな答えだったりします。

ちなみに禅は、「四聖諦」という抽象的な言葉は使わないで、「あるがまま」などの表現を使っています。また因果応報、善行、倫理、輪廻転生、六道はザックリとそぎ落として、ダンマのエッセンスだけを伝承しているんだと思います。


こうした基本的な構造を元にして行っていたのが2021年の原始仏教講座です。また実践実習に役に立つ、基づく内容でした。

今年一年、言及仕切れなかったこともありますので、来年の2022年には、単発でまた開催したいとも思っています。




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