出家も在家も解脱に関しては違いが無かった~在家の修行をテーマとした8月度原始仏教講座を開催

小林紀生

2021年08月02日 21:07




8月の原始仏教講座では「在家と修行」というテーマで行いました。

当初は、
・アショーカ王のダンマ
・原始仏典の陥穽
もあわせて行う予定でした。が、ボリュームが多くなったため、来月(9月)へ持ち越すことになりました。


◆在家には2種類あった~解脱をしていた在家も多かった
それで「在家と修行」。

パーリ仏典には、在家には何種類かの人達がいたことが伝承されています。大きく分けると

1.五戒と施(サンガを支える)善行によって、しあわせになる。
2.在家でも解脱の教法を実践して解脱する

という2種類になります。

また当時は、出家を上回る優れた在家も多く、そうした人達のことも伝承されています。


◆解脱に関しては在家も出家もほとんど違いはなかった
当時の在家のことをまとめると、

・在家の中にも、解脱の修行をしていた人がいた。

・ブッダも、出家・在家に関係なく解脱のダンマを説いていた。

・在家も、五根、四念処、七覚支といった出家と同じ修行をしていた。

・在家の多くも解脱をしていた(解脱に関しては出家も在家も違いはなかった)。

・出家よりも優れた在家もいた。(チッタ居士、アナータピンディカ居士ほか)

・仏教の出家や外道に、ダンマを説く在家もいた。

・ブッダは、優れた在家に対して、出家よりも優れていることを誉め称えている伝承もある。

・在家でも梵行(清浄行)をおこない、梵天の神に等しい人もいた(在家でも不還果にいたった人が多数いる。不還果は梵天の神と同等)。

・不還果にいたった優れた在家でも、新米比丘であっても尊重し、丁寧に対応をしていた(出家文化や伝統、慣習にあらがうことなく尊重する保守的な姿勢で奥ゆかしい)。

といったことになります。

解脱に関しては、在家も出家も、それほど違いは無かったようです。


◆出家はインドの出家文化にしたがった有り様
結局、「出家」は、インドの伝統文化になるわけですね。

先月もお話ししましたが、人類は元来、梵天の神と同じで、梵天の神に立ち返ることから始まったのが出家文化といいます(パーリ仏典に伝承されている出家の始まりの話しです)。つまりインドにおける出家文化は「梵天の神になる」というのが始まりで本質になります。

ところが解脱には、梵天になる必要性は必ずしも要らないということが浮かび上がってきます。預流果や一来果には、梵行(出家が守る清浄行)は必ずしも必要ではありません。


で、在家でありながらも梵行(清浄行)を行い、不還果に至った在家もいるほどです。つまるところ在家のままでも高度な解脱ができるということでして、驚くべき実態が浮かび上がってきます。出家文化を考えさせられることでもあります。

仏教においては、出家しなくても解脱することは充分に可能だったということになります。で、出家するしないは、その人の適性などによるのかもしれません。

出家は尊いと思います。優れた人間となり、お手本のような人間を育むと思います。なにしろ本来は、梵天の神レベルを目指していましたのでね。

けれども解脱においては、出家はマストでは無かったというのが、どうやら実像のようです。古来よりインドにあった尊い出家文化を、ブッダはそのまま活用したという見方もできます。

ちなみにこう書きますと、出家文化を否定するかのように映るかもしれませんが、決してそうではありません。事実に照らして冷静に考察をすれば、このように考えることができるということですね。

ちなみにブッダは保守的な方です。自分で新しいことを生み出すラディカルな方とは言い難いところもあります。


◆ブッダは当時にあった使える道具や慣習を活かしていた
ブッダは保守的だったというのも、ブッダは、解脱した当初、ジャイナ教の言葉を拝借して説明していたからです。今では仏教の言葉と知られている慈悲、比丘、中道などの言葉は、なんと当時、ジャイナ教で使われていた言葉です。

ブッダは、当時にあった道具を使って説明していたということになります。活用できるものは、そのまま活用するというのがブッダの基本姿勢でもあります。

出家も同じであると思いますね。

インドにはたまたま出家の文化があったので、そのまま活かした。出家は、人間の意識を高めるメリットもあり、梵天の神と等しい存在になるため、そのまま出家文化を活かしながらダンマを説くようになったのではないかと思います。

しかし、後になって、こうしたブッダの本意は理解されず、形式な出家スタイルが主流になり、仏教も出家文化にのみこまれていったのではないかと思います。で、こうした有り様に反発心を抱いて登場したのが在家を主体とした大乗仏教じゃないかとも思いますね。

けれども実際のところは、出家をしなくても(在家でも)解脱することが可能だったということです。

で、こうした「事実」は、出家制度の無い日本の仏教にとって、福音となり、日本の仏教再生と再興に役に立つと思います。


◆在家でも解脱ができる~日本仏教の再生と再興のヒント
解脱に関しては、出家も在家も違いは無かった。
インドは出家文化が根強かったため、出家を主体とした形態になり、伝承になり、在家の有り様は充分に伝えられるこも無かったと推察もできます。

で、このことが、後の時代に「在家を中心」とする大乗仏教が勃興した理由の一つになったことは、容易に想像することもできますね。

また法華経のように、過激な創作や嘘を交えながらも在家の有り様を強調した、奇妙な経典が登場した背景にも、こうしたことがあったからじゃないかと思います。

在家も出家と同じ解脱をしていた。出家を上回る在家もいた。こうした事実は、日本仏教の再生と再興に役に立つヒントとなり得るのではないかとも思います。


◆9月の原始仏教講座
観念的になりがちな原始仏教の教えを実践ベースにかみ砕く勉強会。

次回は第9回目は9月12日(日)
詳細はこちらをご覧ください。
https://healingmusic.hamazo.tv/e9217725.html

9月は8月講座の続きとなります。在家にフォーカスしながらも、アショーカ王と原始仏典の陥穽についてご紹介します。

9月も深い内容と興味深いお話しになると思います。

毎回毎回、見やすくわかりやすいレジュメも用意しています。

ご興味のあります方は、お待ちしております。

小林紀雄

◆2021年 原始仏教講座の詳細
https://healingmusic.hamazo.tv/e8982701.html

◆申込み:申込みお問い合わせは、vipassa65@gmail.com まで


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