気付きの瞑想・マインドフルネス・あるがまま【浜松市】

心を癒し成長に役立つ「気付きの瞑想」。「気づきの瞑想」はテーラワーダ仏教に伝わる瞑想です。今ではマインドフルネスとして紹介されています。マインドフルネスのルーツが「気づきの瞑想」です。このブログでは、社会貢献を目的とした情報を発信し、静岡県浜松市で開催している瞑想会、勉強会のほか、瞑想、マインドフルネス、ボディワーク、気功、ヒーリングなど、ジャンルにとらわれず、役立つ情報を紹介しています。

清浄道論入門(歴史・構成・十六観智・十随観染)~10月原始仏教講座を開催

清浄道論入門(歴史・構成・十六観智・十随観染)~10月原始仏教講座を開催


10月の原始仏教講座は「清浄道論」がテーマでした。

清浄道論は、テーラワーダ仏教界の重鎮であり権威者であるブッダゴーサが、5世紀くらいに書き著した瞑想マニュアルですね。

10月の講座では、清浄道論入門として、

・上座部(分別説部)がスリランカに伝わるまでの歴史
・スリランカにおける大寺派(上座部)と無畏山寺派(大衆部)の抗争の歴史
・大寺派が主流になった時代に、パーリ仏典がタイやミャンマーに伝わった
・清浄道論の構成
・清浄道論は、対抗する無畏山寺派が所有していた「解脱道論」と酷似
・解脱道論との違いは十六観智に細分化している点やパーリ仏典からの引用の多さ
・「十六観智」はブッダゴーサのオリジナル(解脱道論では八観智)
・観察瞑想に起き得る「十随観染」

など清浄道論の中身に入るものの、全体の構造を押さえることが大事であるためアウトラインや周辺事情がテーマでした。


清浄道論は複雑です。が、要するに、
◆表面意識の観察
・智慧にひらける
・智慧が深まる
・ダンマ的な考え・気づきが多くなる
◆潜在意識レベルの観察
・深い意識(サンカーラ)の領域へと進む
◆悟り
・悟り体験と悟り

本来は自然に進んで行く意識と観察の深まりと解脱に至るプロセスを、整理して体系化して、一つのモデルとして表現したものになると思います。

しかし、このことがわかれば煩雑な専門用語や枝葉末節なことに振り回されることが無くなると思います。



1.スリランカにおける大寺派と無畏山寺派の歴史
スリランカに伝わった上座部仏教は、ウパーリ(戒律に精通)の系統⇒モッガリプッタ ⇒ マヒンダ王子 ⇒ スリランカへ(上座部・分別説部)⇒大寺派

という歴史を経ています。
で、大寺派より、無畏山寺派が分派しています。

スリランカでは

大寺派(上座部:分別説部) VS 無畏山寺派(大衆部:大乗上座部)

という争いの構図が約1000年近く続きます。


そんな対立と争いの中、無畏山寺派では、100~200年代にインド人のウパティッサが「解脱道論」を著したといいます。

で、スリランカでは、300年頃に「無畏山寺派(大乗上座部)」が主流になります。大寺派(上座部)を抑えるんですね。

で、400年代に、大寺派のブッダゴーサは、無畏山寺派が所有していた解脱道論を下地にし、また無礙解道などから引用して「清浄道論」を著します。

解脱道論と清浄道論はほぼ同じです。先に解脱道論がありました。この解脱道論を下地にして、清浄道論は作成されたということですね。

で、両書の大きな違いは最後の観察の箇所です。解脱道論では八観智。清浄道論では十六観智に細分化しています。十六観智はブッダゴーサのオリジナルです。これ以外のほとんどは解脱道論と同じです。


で、スリランカでは「無畏山寺派」が長い間、主流でした。が、約800年後の1100年代になって、ようやく大寺派が主流となります。

で、1200年代に、大寺派の仏教がタイに伝わり、その後ミャンマーに伝わり、テーラーワダ仏教が形成されていきます。

テーラワーダ仏教には、こうした歴史があります。
大寺派の時代に、たまたまタイやミャンマーに分別説部の三蔵が伝わっただけでして、もしかすると無畏山寺派の仏教がタイやミャンマーに伝わったかも?といった可能性もあったわけですね。

もし無畏山寺派が主流のままでいれば、大乗系の仏教がテーラワーダ仏教となり、瞑想マニュアルも解脱道論になったわけですね。

歴史に「if」は禁物とされていますが、スリランカの歴史を理解すると、あまり言及されていないことが浮かび上がります。「清浄道論」を絶対視するのはちょっと違和感がありますし、オリジナルともいえる「解脱道論」を見捨てることはできないんじゃないかと思います。



2.清浄道論のあらまし
で、清浄道論は、対抗していた無畏山寺派所蔵の解脱道論を下地にして作成した可能性が高いわけですね。

しかし清浄道論も解脱道論も
◎乾観者(智慧だけで解脱する者)
◎奢摩他者(禅定を作って解脱する者)
のどちらのコースにも対応しています。

清浄道論は禅定に関する記述も多くありますが、禅定を作らないで解脱する道(乾観者)にも対応できるようになっています。ここは大事な点ですね。

ですので、念(サティ:気づき)を主体とした瞑想も清浄道論に沿った説明がされているわけですね。


3.清浄道論の構成
清浄道論はパーリ中部経典24「伝車経(七車経)」にある「七清浄」に基づいています。で、七清浄のモデルに三学(戒・定・慧)を当てはめています。

1.戒清浄
---------------------------------
2.心清浄
---------------------------------
3.見清浄・・・①名色分離智
4.渡疑清浄・・・②縁摂受智
5.道非道智見清浄・・・③思惟智、④生滅智
6.行道智見清浄・・・⑤壊滅智、⑥怖畏智、⑦過患智、⑧厭離智、⑨脱欲智、⑩省察智、⑪行捨智
---------------------------------
7.智見清浄・・・遍作智、⑫随順智、⑬種姓智、⑭預流道心、⑮預流果心、⑯観察智

で、七清浄に16の智慧(十六観智)を当てはめています。

しかし「十六観智」は解脱道論にはありません。解脱道論は8つの智慧(八観智)です。もっとシンプルです。十六観智はブッダゴーサのオリジナルですね。

で、見清浄から行道智見清浄が観察行になります。清浄道論のほうが複雑になっています。が、智慧にひらけて、観察する意識が深まる、いわゆる潜在意識レベルの観察へと進む自然な様を、システマティックなモデルにして表現しているように思います。

複雑なのですが、大事なポイントは、
①名色分離智
⑪行捨智
になろうかと思います。

ちなみに行捨智は、禅における「あるがまま」と同じではないかとも思います。

観察を進めていくと起きやすいことを、体系的なモデルとしてまとめているというのが本当のところではないかと思います。

◎表面意識の観察
・智慧にひらける(見清浄)
・智慧が深まる(渡疑清浄)
・ダンマ的な考え・気づきが多くなる(道非道智見清浄)
◎潜在意識レベル
・深い意識(サンカーラ)の領域へと進む(行道智見清浄)
◎悟り
・悟り体験と悟り(智見清浄)

こうしたプロセスを精緻な体系にして、モデル化しているんじゃないかと思います。

そもそも人間の精神は機械的に進んでいくものではありませんからね。システマティックなモデル通りに進んでいくとみなすと、勘違いや思い込みを招き、また観念主義、原理主義に陥ることも起き得ると思います。実践的ではありませんね。



4.観察瞑想に起き得る「十随観染」
十随観染は「ウィパッサヌー・キレース」ともいいます。十随観染は解脱道論には指摘がなく、清浄道論のオリジナリになります。

十随観染とは、観察瞑想を行う際に起き得る障害(落とし穴)です。禅に伝わる「魔境」と本質は同じではないかと思います。

十随観染とは、ザックリいいますと、

(1)光輝・・・体から光が出る(のを感じる)ことにとらわれる
(2)知恵・・・智慧が鋭くなり過ぎる
(3)喜悦・・・喜びにハマり込む
(4)軽安・・・心身が軽やかになることにハマり込む
(5)楽・・・身体の快適さにハマり込む
(6)勝結(信念)・・・信念が強くなり、それにハマり込む
(7)策奨・・・精進のし過ぎ(精進のハマり込み)
(8)現起・・・対象にペタっとくっつくほど気づきが強くなる(気づきのハマり込み)
(9)放捨・・・中立さであるが、これに付随する静けさにハマり込む
(10)欲念・・・清浄かつ精妙な欲であるが、これにハマり込む

ということになりますね。

十随観染で挙げられている10のエッセンスそのものは善いことであります。しかしハマり込むこと不善心になるといっています。

適切であれば善い性質、善行をうながす性質になります。このことは清浄道論にもありますね。しかし「とらわれ」「ハマリ込み」となると不善になってしまうということで、繊細な有り様ですね。

結局、よいことであっても、ハマり込むと不善になるということですね。しかし性質が善なので、そのハマり込みに気がつきにくいため注意が必要なんだと思います。

で、ハマり込みを引き起こすのが、十随観染の最後にある「欲念」であるといいます。つまり精妙かつ清浄な欲によって、中立に観察ができなくなり、これに無自覚であると、2~8のようなハマり込み状態を作るんだと思いますね。

スピリチュアルや神秘体験に興味津々ですと、おそらく十随観染に100%ハマるのではないかと思います。人によっては恵みとして歓迎してしまうんじゃないかとも思います^^;

ちなみに呼吸瞑想をしていると現れる相似(ニミッタ)と、十随観染の「光明」とは違いますね。清浄道論では、呼吸瞑想をしていると相似(ニミッタ)が出現することを述べています。十随観染の「光明」のように戒めてはいません。そもそも両者は性質がまったく異なります。相似(ニミッタ)が出ることに対して魔境とするのは誤りですね。

また「現起」は強過ぎる気づきですが、瞬間定としてのカニカ・サマディとは違うと思います。強すぎる気づきには緊張や硬直性がありますので、カニカサマディの性質とは異なるんじゃないかと思います。


ということでして、ザックリとしたダイジエストとして、したためましたが、10月は清浄道論がテーマとなる内容でした。

11月は、実質最後の講座となります(12月は仏教史となります)。11月は、神通力や禅定の仕方など、小テーマを集めて、また今年一年の講座を整理する「まとめ」的な内容になります。



◆11月の原始仏教講座
観念的になりがちな原始仏教の教えを実践ベースにかみ砕く勉強会。

次回は第11回目は11月14日(日)
詳細はこちらをご覧ください。
https://healingmusic.hamazo.tv/e9268735.html

11月は「原始仏教・テーラワーダ仏教のあれこれ、原始仏教講座のまとめ」となります。

原始仏教・テーラワーダ仏教に関するさまざまな小テーマを取り扱い、あわせて今年一年行ってきた原始仏教講座の「まとめ」となる予定です。

毎回毎回、見やすくわかりやすいレジュメも用意しています。

ご興味のあります方は、お待ちしております。

小林紀雄

◆2021年 原始仏教講座の詳細
https://healingmusic.hamazo.tv/e8982701.html

◆申込み:申込みお問い合わせは、vipassa65@gmail.com まで

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