
気づき、サティ系の瞑想はいくつかありますね。
たとえば、
・ゴエンカ氏の感覚を見つめる瞑想
・チャルーン・サティ(手動瞑想)
・アーナパーナサティ(呼吸瞑想)
・歩行瞑想
・インナーボディを感じる
これらは「気づき」を切り口にして行う瞑想ですが、
こうした瞑想は、言葉を変えますと「いまここ」系とも言えるでしょう。
「いまここ」に臨在するといいますか。
「ある」とか、「事実をそのまま受け入れる」とか、
いろいろな表現もあると思います。
こうした「いまここ」系の瞑想をしていますと、
その体感などが出てくると思います。
そうした体感を通しての感想も、いくつかあったりします。
一番多いのは、過去のことを思い出して後悔したり悩んだり、
あるいは将来のことを考え悩むといったことが減るということですね。
悩みが全くなるなるというのではなく、
それまでと比較して過去の記憶や、未来への心配といったことが減り、
思考・観念・概念に振り回されることが減ってくるというものですね。
並行して、心が晴れやかになる、自ずとよころびが生じる、安心感が出てくる、
自我が芽生える前の子どもの頃に戻った感じといった感想もあります。
こうした体感は、以前の自分と比較しての感想になるのでしょうが、
このような体感を言われる方は多いですね。
あと、「いまここ(気づき)」系の瞑想をしていますと、浄化が起きてまいります。
実際に、これを言われる方はいます。
感情や記憶というものは、決して脳だけにあるのではなく、
身体に「凝り」や「緊張」として蓄積されているというのがあります。
このことは、特にゴエンカ氏の感覚瞑想を行った方は、
実感されている方も多いかと思います。
実際、ゴエンカ氏の瞑想合宿へ行って、
劇的に変わったなどの体験をされている方もいます。
かく言う私もゴエンカ氏の瞑想合宿へ行って、
そういう体験をしています。
感覚を見つめる瞑想は、浄化力の強い瞑想ではないかと思います。
10日間の合宿は、初めての方ですと敷居が高いかもしれませんが、
とてもパワフルな瞑想であろうと思います。
個人的には、ゴエンカ氏の瞑想が、もっともパワフルな浄化作用が
あると思っていますが、これ以外であっても、徐々に浄化の効果が
出てくると思います。
「気づきの瞑想」という言い方もされていますが、
「気づき」を切り口にした瞑想をしていますと、
「いまここ」としか言いようの無い身体感覚というものが
生じてくるようにも思います。
「いまここ」感が出てくるようになりますと、
いろいろと変化も出てくるように思います。
一番はっきりしてくるのは、たとえば自己啓発に多い「何かになる」といった
「自己改善」「自己創造」あるいは「マニュアル」的な処世術への違和感です。
延長線上に、アファーメーションとかもあるでしょう。
「何かになる」系ですね。
こうした「何かになる」という自己イメージを持ったりすること自体に、
違和感が出てくるのではないかと思います。
といいますか、こうした方法が回りくどい感じがしてきて、
もっとシンプルに「いまここ」にあれば、それでOKといった感じに
なるのではないかと思います。
「いまここ」から生じてくる様々な徳を感じ始めるというのもあると思います。
ただし、職業上で、目標を持って、それに向かって仕事をするとかは、
またちょっと違うでしょう。
あくまで、「自分自身がこうなる」という、自己変革とか、
そういう自己啓発に限ったことで顕著に感じられるのではないかということですね。
とはいいましても、こうした「何かになる」系は、
必要と感じるときには行うのがいいと思います。
「ヴィパッサナ瞑想をしている人は、そんなことをやっちゃだめ」みたいな^^、
一種のドグマ(観念)に陥ってしまうほうが、
かえって実害が出てくると感じているからです。
みんなが「これがいいから行う」、「よくないと言っているから行わない」ではなく、
「今の自分にとって、この方法は必要だなあ」と感じるなら、
周囲の評判とかは気にしないで、取り入れていくのがいいんじゃないかと思います。
こうしたことでは観念的になり過ぎて、観念や価値で判断するのではなく、
体感的に自分に必要なのかどうかという感覚で選んだほうが
適切なことが多い気がするからです。
それから、「気づきの瞑想」では「智慧」といった点に
フォーカスされやすいと思いますが、
「いまここ」感とか、その他の体感もあるように思います。
そうして、この「いまここ」感などの体感に、
現実に活かせるものが多くあるようにも思います。
表現の仕方を変えれば、成功法則とかの「何かになる」系に取って代わる、
新時代の処世術にもなり得そうです。
おそらく今後、こうしたことを述べる方が、
ビジネスの分野からも続々出てくるかもしれませんね。
と、所感を書いていますが、こうしたことを書くのも、
周囲に、同じような感想を言う方がポツリ、ポツリと出てきていることがあります。
数ある瞑想の中でも、まずは「気づき」。
「いまここ」。
「プレゼンス」。
いろんな言い方があります。
どういう表現をしようとも、いまこの瞬間に錨(いかり)を下ろすことこそ、
いろいろな問題を解決していく土台にもなると思います。
問題解決だけではなく、真理へ啓(ひら)かれていく道筋にもなると思います。
このブログでは、チャルーン・サティのことを多く書いていますが、
チャルーン・サティに限らず、また仏教系の瞑想に限らず、
幅広く「気づき」「プレゼンス」「いまここ」の方法であるなら、有益であると思います。
もちろん伝統的な四念処のやり方もそうですね。
ただ、お釈迦さまがいらっしゃった2500年前と現代とでは、
メンタルの構造、知的レベル、あるいは社会構造そのものが異なっています。
伝統を固く守ることも美徳ではありますが、
現代社会に柔軟に適応できるあり方も適切であると思います。
「気づき」「いまここ」。
これは現代社会の問題の多くをも解決し得る処方箋とすら思っています。
そういう思いがあり、この地方浜松でも、
できるだけ多くの方々が「気づき」「いまここ」の恩恵に浴する機会として、
参加しやすい瞑想会というのと続けてきたところがあります。
と、こういう所感を述べるのは初めてですが^^、
また、こうした内容を、このブログで書くのは、ちょっと勇気が要りますが^^、
とにもかくにも、「気づき」「いまここ」「プレゼンス」系の瞑想を行ってみることですね。
構えて「瞑想」するだけではなく、日常生活の中で実践できますので、
とにもかくにも、「やってみる」「やり続けてみる」ことだと思います。
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