さて、昨日(10/23)は中健次郎先生の気功講習会。
毎度お馴染みになってきました。
ところで中先生の気功講習会に関わるようになって、かれこれ3年経つんですね。
コロナが始まる前の2019年5月からです。
思い返せば、きっかけはミャンマーのクムダセヤドー瞑想会でしたからね。
中先生は、ミャンマーでクムダセヤドーとお会いして感激。日本に帰って調べてみると、日本国内でクムダセヤドーの瞑想会を開催していることを知って、再び感激。
私は浜松市内で、クムダセヤドーの瞑想会を開催していましたので、これがきっかけで中先生をはじめ、気功を行っている皆さんとご縁ができたという塩梅です。
で、中先生は、クムダセヤドーに惹かれることからおわかりの通りで、人間性、慈愛、本当の自分といったことに興味関心があり、軸にされています。
実際、中先生の気功は、能力開発よりも、気功を通して人間性や徳、本質に開眼していくことを目指しています。
気功実習の副産物として、気の能力が生じるというスタンスです。
ですので私が志向している方向性とも親和性があるんですね。
といいますか、中先生が言う気の説明は、私が常々している瞑想の説明とまったく同じです。
気功なのか瞑想なのかの違いだけであって、言っていることそのものは同じなんですね。切り口が違うだけです。
微細な感覚が感じられるようになっていくことや、その微細な感覚の先に気(本当の自分)があるとか、要するに感受力を高めることなんですが、このことを気づきというのか、気功における微細な感覚というのか、表現が違うだけであって同じことを言っているんですね。
また瞑想が進んでいくと、広がる意識感覚が生じてきたり、高揚や喜びも生じてきますが、中先生の指導でも、まったく同じことを言っています。
真我に至る道のりにしても、その説明の本質は同じであることがわかります。
こうしたことは説明と、その話の感触でわかりますね。
ちなみに、気やエネルギー、気功を、人生がよくなるといった「現世利益」「能力開発」にウェイトを置いている方もいます。
こうした「ご利益」目当てで気功を行うのも一つの考えだと思います。無いよりはあったほうがいいと思います。
が、私は「ご利益」のような志向よりも、人間性、慈しみ、徳、本当の自分、悟りといったことに、どうしても関心が向いてしまいます。
ちなみに「真我」というのも一種の方便です。
原始仏教の文脈で真我という言葉を使いますと、蟻の巣を突っついたかのようになりがちですが、そういう言葉にとらわれたスタンスは、どうなんかなあと思いますが、真我という観念は、説明上、あったほうが便利だなあと思います。
が、真我云々も一つの観念になりますし、考えになります。で、観念自体が究極であると勘違いしますと、悟りには大きな障害となりますので、それで戒められているんだと思います。
あと真我云々よりも、認識の変容である「悟り」に、どうしても興味関心が向きますね。
しかし、気功は、シンプルに「健康にいい」ですので、健康体操としてもおすすめです。
でも気功も手段、方便、通過点の一つです。気功から悟りには向かいませんからね。
話しがあっちゃこっちゃ飛びますが、帰りの際、気功会場の近くに「konohi」というカフェがあることを知って、数人でここに立ち寄ってコーヒーを飲みましてね。
非常によさげなお店。
で、コーヒーが美味しい。
そんなよさげなお店で、雑談をしながら、また新しい企画を考えて、あれやこれやとやってみようということになったり。
そんな話しにもなりましたが、恒例となった中先生の気功講習会。
毎年、春と秋に開催しています。
ホンモノの気功に触れたいという方は参加するといいですよ。
やわらかい雰囲気の中で行いますので、安心しておすすめできます。
で、気功も瞑想も同じということが、やがてわかってくるようになると思います。
また意識の有り様とか変容とまったく違う文脈に悟りがあることも、自ずとわかってくるようになるんじゃないかと思います。
と、そんなことを思ったりもします。
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